2019年1月10日放送のMBS/TBS『プレバト』俳句コーナー。
写真のお題は「書初め」。
実際に番組で使われた写真を発見したので転載。
では、紹介・発表された順に出演者が詠んだ句をどうぞ。
第3位: 杉本彩(女優)
評価: 50点 凡人
【本人作】: 書初めの 艶に込める 女ごごろよ
【添削後】: 女ごころ 込め書初めの 「艶」てふ文字(発音はてふ=ちょう)
作者の意図:
- 書初めしている女性、50代を設定。「艶」という書初めの文字に込める想いはどんなものだろうと思って。
添削のポイント:
- 「艶に」がつながらない。何を書初めで書こうとしているのか分からない(梅沢コメント)。
- 発想は悪くない。でも読んだ人は、墨の文字に艶を感じると解釈する。この女性が「艶」という文字そのものを書いてるとは読めない。
- リズムが悪い。でも作者が分かったら、下五の「女心」は残さないといけない。
- 「てふ」は「~という」の意味の文語調。
- 艶をカギ括弧「」で囲えば、それは書初めの文字で書いたと分かる。
個人的な感想:
- 作者がセクシー女優・杉本彩だからという理由で、夏井先生は「女ごころ」を残したが、私はこの句の中で最も要らない言葉だと思う。
- 女心と言えば、スーパーのレジ打ち店員さんの赤いマニキュアを詠んだ増田惠子の句「あかぎれの レジ打つ手先 赤きマニキュア」を思い出す。女心と書かずとも、写実的な描写でその心情を伝える方が、俳句の詩心があると思うんだがなぁ。
- 私も「艶」が書初めの文字ではなく、艶っぽいという形容に解釈した。括弧書きにするのは賛成だが、「文字」まで入れた添削後は野暮ったいと感じた。
第2位: 西郷輝彦(俳優)
評価: 67点 凡人
【本人作】: 二日はや あれもう小腹の たちにけり(発音は二日=ふつか)
【添削後#1】: 二日はや 妻に小腹を 立てにけり
【添削後#2】: 二日はや 金に小腹を 立てにけり
【添削後#3】: 二日はや この世に小腹を 立てにけり
作者の意図:
- 去年は色々あったけど、今年は怒らないぞと思った。でも正月二日目から小腹を立ててしまった。
添削のポイント:
- 「あれ」と「もう」2つ入っているのが要らない(志らくコメント)。
- 誰に腹を立てているのかが分からない(梅沢コメント)。
- 飄々としていて良いですね。
- 元日、二日~七日までが全て季語。
- 特待生・名人が指摘の通り。二日「はや」ですでに「あれもう」は意味が入ってしまっている。それを削れば、誰に(何に対して)怒っているのか入れられる。
- 「たてる」は漢字の方がいいですね。
個人的な感想:
- 「あれもう」の削除、そして腹を立てる対象を具体化する2点については、私も賛成。
- ただし、小腹「を」に変えた添削後は失敗だと思う。小腹「を」立てると書いてしまうと、本当に怒ってしまった様子。ところが元句の小腹「の」立ちにけりだと、心の中でイラっとしているが、それを表面には出していない様子とも解釈できる。
- 特に添削後は、腹を立てた対象が具現化しているから、なおさらその怒りが実際の言動として表に現れているように感じられ、ギスギスした句になってしまった。
- でもおそらく作者の意図を聞くからに、心の中だけでイラっとしたのではなかろうか?そしてそれを表に出さず、グッとこらえたので「腹を立てた」ではなく「小腹のたちにけり」だったのではなかろうか?
第4位: 二階堂高嗣(ジャニーズ キスマイ)
評価: 37点 才能ナシ
【本人作】: 七福神詣で 気分良く 笑顔(発音は七福神詣で=しちふくじんもうで)
【添削後#1】: 七福神詣で 晴れやかなる 笑顔
【添削後#2】: 詣できて 七福神を 墨で書く
作者の意図:
- プレバト出演の中で、今回が最もチャレンジした。
- 七福神巡りをした後に、七福神の絵を描いた。
添削のポイント:
- 破調が大失敗した。笑顔なら気分いいに決まってるし(志らくコメント)。
- 七福神詣ではマニアックな。ここまでは、お?って思った。
- ところが、その後は、誰でも考えそうな事。チャレンジしたというが、思いっきりジャンプして、2センチ先に下りたようなもの。
- 「気分良く」を「晴れやかなる」にすればリズムが出る。
- でもあなたが言ったことの方が良い。参拝そのものではなく、参拝後に七福神を墨で書いたという方が。
個人的な感想:
- 添削後#1は、ありえんな。「気分良く」は論外だけど、「晴れやかなる」も元句と大差ないじゃん。凡庸な「笑顔」を残すならば、せめて語順を変えて七福神詣でを下五に持ってくるべきだったのでは、夏井先生? なぜか分からないけど笑顔で上五スタート。そしてその理由が七福神詣ででした、という下五オチ披露の語順だ。
- 結局作者は、(1) 参拝で自分自身が笑顔になったと言いたかったのか、(2) 参拝が嬉しかったから帰宅後に絵を描いたと言いたかったのか、それとも (3) 参拝後に書いた絵の中の七福神が笑っていると言いたかったのか、微妙に意図説明を聞いても分からなかった。
最下位: 高橋ひかる(2014年全日本国民的美少女コンテスト優勝、高校生)
評価: 30点 才能ナシ
【本人作】: 筆を手に 迷ったあげく お年玉
【添削後】: 書初め何書こう 「お年玉」と書こう
作者の意図:
- 毎年何を書こうかなと迷う。書初めのお手本が「お年玉」と書かれることが多い。そのため、迷った挙句、お手本と同じ文字を選んでしまう。
添削のポイント:
- 全然意味が分からない。迷いながら書こうとしたんだけど、筆をおいてお年玉貰いに行こうと思ったと読める(梅沢コメント)。
- 元句の季語は「お年玉」しかない。そのため、おっちゃんの読み(解釈)に他の読み手も落ち着いていく。
- 「書初め」が季語になるので、きちんと書きましょうね。
- 書初めでお年玉という文字を書いたと分かるように、カッコで囲む。
- 添削後の句は、作者が小学校1年生ぐらいだったら良い句だと思う(笑)。
個人的な感想:
- たぶん俳句が詠める年齢ではないのだと思う。なので、俳句番組出演のオファーが来て、俳句に何を書こうと迷ったのだろう。そしてその心情が、書初めで何を書こうと迷うのに似ていることから、この発想につながったのではなかろうか。
- 夏井先生のリフレイン添削は手抜きだと感じることの方が多いが、今回については作者の精神年齢や心情を鑑み、ピッタリ合っていると思う。というか、これ以上修復不可能。
第1位: 山口もえ(タレント)
評価: 70点 才能アリ
【本人作】: 筆始 祖父の遺した 硯箱(筆始=ふではじめ、遺した=のこした、硯箱=すずりばこ)
【添削後#1】: 初明かり 祖父の遺した 硯箱
【添削後#2】: 福寿草 祖父の遺した 硯箱
作者の意図:
- 祖父が書道が大好きだった。毎年一緒に書初めを書いていた。今は亡くなった祖父の硯を使って書初めを書いている。
添削のポイント:
- 物がハッキリ見えてくる。お爺ちゃんが愛用していた。しかも亡くなったのも分かる。そしてそれを大事にしているのも分かる。
- お正月初めて書くというのも、この内容に似合っている。
- ここからはもっと上を目指すための添削。季語が内容に似合い過ぎている。イメージが近すぎる。なので、少し離れた季語の方が、奥行きや色が出てくる。
- でも、よく勉強してきた!
Image Source: 福寿草祭り(長野県辰野町の観光案内サイトより、2月開催)
個人的な感想:
- 夏井先生指摘の通り、たしかに硯箱が出てくれば書道だと分かるので、季語の「筆始」には時期情報しか付加価値がなくなってしまう。
- 私は個人的には添削後#2の「福寿草」が素敵だなと思った。極寒の冬、小さなまっ黄色の花を咲かせ、新春の艶やかさにピッタリの花。しかも「福寿草」ってネーミングがおめでたいし。
- ところがこの#2の場合、下五が「硯箱」であるべきなのか、「硯」にすべきなのか迷う。
- 元句は「筆始」なので、書道をする行為・動作が句から浮かんでくる。つまり、硯の箱をこれから開けまっせという「動」のシーンだ。
- しかし添削後#2は、福寿草と硯箱という2つの名詞が並んでいることから、単に亡くなった祖父を偲んで、祖父の大好きだった硯箱の傍にキレイな福寿草を飾ってあげました、とも読めてしまうから。つまり、福寿草も硯箱も、動きがなくてポツンと飾られた「静」の句のニュアンスが出てくる。
- なぜ「静」の句に読めてしまうのかというと、箱を描くことによって、硯を封印しているようにさえ読めてしまうからだ。作者の意図では、硯の箱を開けて書初めをするのだから、箱ではなく開封した後の硯を描くべきだったのでは?
特待生3級: 立川志らく(落語家)
評価: 現状維持
【本人作】: 走馬灯に 駆け込む 書初めの午(発音は走馬灯=そうまとう、午=うま)
【添削後】: 書初めの 「午」駆け込まん 走馬灯
作者の意図:
- 書初めで子供が書いた「午」の字。躍動感がある。その書いた馬は競馬場ではなく、どこに行くんだろう?
添削のポイント:
- 走馬灯が評価ポイント。読み手を混乱させている。
- 何が混乱かというと、走馬灯というのは夏の季語。季重なりがダメというわけではない。でも先に走馬灯が出てくると、夏の句だと読んでいってしまう。そして、えっ新年だったのか?と。
- 季重なりで走馬灯を書きたければ、先に書初めを述べる。
- 「駆けこまん」だと駆け込むだろうの意味になる。
- ➡ 夏の季語ってわかったんだけど、破調でいいだろうと。さっき、二階堂君の破調を馬鹿にしたが、自分もだった(志らく反省コメント)。
個人的な感想:
- 走馬灯は夏の季語なのか。知らなかったので、調べてみた。
- 走馬灯とは「風車や炎による空気の対流作用で回る影絵の紙灯籠。筒は上部を風車式にして回転できる。中心にろうそくを立てると、炎が起こす気流の動きで筒の部分が回転し、シルエット風な形が外側の紙に巡って映る」とのことだ。
- 「日本では江戸時代に夏の夜の楽しみとして普及し、今でもお盆の時に置いたりする」という理由から、夏の季語になっているようだ。
- 日常的にも「走馬灯のように想い出が蘇る」と言い、死に瀕した人が最後に鮮明な記憶をフラッシュバックさせる時などにも使われる。この走馬灯が比喩なのか、走馬灯の実物なのかがややつかみづらい。そして比喩になってしまうと、季語としての鮮度が失われる。
- で、志らくの元句の場合、意図を聞くと明らかに走馬灯の実物を指している。つまり、夏の季語と冬の季語がガチンコで勝ち合っている状態だ。しかも上五に走馬灯が出てくるので、夏の情景が浮かんできやすい。そこから急に冬の書初めに情景が移行するので、ちょっと飛躍しすぎな気がする。
- 加えて、走馬灯にはどこかノスタルジックなイメージがある。ところが作者の意図によると、書初めをしたのは元気のある子どもだという。そのため、走馬灯とは相性が悪い。
- ということで、私はそもそも午が走馬灯に駆け込むという比喩の発想自体が失敗だと思う。
参考:
- 走馬灯とは?(コトバンク)
- 「走馬灯」とは?意味や例文を解説!(意味解説ノート)
💡 志らくのこれまでの俳句まとめは、こちら
名人10段(☆☆☆☆☆): 梅沢富美男(俳優)
評価: 現状維持
【本人作】: 札止めの 墨色の濃さ 初芝居(発音は札止め=ふだどめ、墨色=すみいろ)
【添削後#1】: 札止めの 墨色の濃し 初芝居
【添削後#2】: 札止めの 墨色ぞ濃き 初芝居(より初芝居を強める場合)
⇒#2の方がいいなぁ(浜田コメント)
作者の意図:
- 大入りの札がかかると非常に縁起のいい芝居だなぁと。
添削のポイント:
- 「濃さ」が評価ポイント。言葉を学べ!
- いいところはたくさんあります。
- 初芝居という季語の良さ。札止めの墨色を述べるだけで、初芝居の活気・賑わいを描こうとする名人の判断。艶やか。
- なんで、「濃『さ』」にするのさ!
- 視聴者に分かりやすくするために「さ」にしたのさ(梅沢反論)。
- 「濃さ」だと名詞になる。その後ろに説明がくっついてくる可能性が残ってしまう。濃いということをストレートに言う。
- 普通なら「濃し」。もし初芝居の活気を強めたいなら、「ぞ」で強め、文法的には「濃し」ではなく「濃き」で受けることになる。
個人的な感想:
- 梅沢は基本的な国語の文法が苦手というか不勉強なんだな、と思うことが多い。元句を見てすぐ、「濃さ」がダメだなと分かった。なんで名詞形にしたの?と。
- まず、この句の場合は季語の「初芝居」を惹き立てるべき文脈の句。年初という時候だけでなく、芝居なので人々が楽しみにして集まって来る情景が立ち上がるからだ。
- ところが「濃さ」と名詞形にしてしまうと、濃いことそのものが主役となってフォーカスが当たりすぎてしまう。そのため、下五の初芝居へつながらなくなってしまう。これでは季語の持つ情景や鮮度を損ねてしまうではないか。
- これに対し添削後は、上五~中七全てが、最終的に初芝居を形容するために使われている。
- ちなみに「札止め」とは、満員御礼の看板や垂れ幕を出し、満員なのでチケット販売を止めるという意味だそうな。大相撲の場合は、札止め(完売)でなくとも、一定数に達していれば満員御礼の垂れ幕が出るらしい。私は今まで、満員御礼=完売だと思ってたよ。。。

💡 梅沢のこれまでの俳句まとめは、こちら
そういえば最近、書初めなんてやってないなぁ。でも書道って、すごく精神統一にいいんだよね。で、文字に凝りすぎて時間が経つのを忘れ、自分の肩が凝るという。。。 😀 😀
次回のお題は「冬のバス停」。
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推敲お疲れ様です。
ニカちゃんよ、折角の発想をドブに捨てるとは…あの人が才能アリに返り咲くのはいつになるやら…。
梅沢名人は文法でコケる事はよくやらかしていますね。一音を見直す事をやらないとあの人は前進は無理そうですね。
高学歴の人に噛みつきすぎた罰なんでしょうか笑
(色んな高学歴の出演者に「俳句に学歴は関係無い、私なんか中学出よ?(中卒でも俺は名人だぜ、どうだすげえだろ)」と言いまくっていたようでw
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